桃太郎さんのモノクロ画像集(3)

ここでは、倉敷市在住の桃太郎さんから「郷愁掲示板」にお寄せ頂きましたモノクロ写真を紹介します。撮影されたのは約30年前、生活色の濃い生きた町並が表現されています。
デジカメでは表現できない郷愁を感じていただければ幸いです。




この写真は宗谷本線音威子府駅です。旭川から上はやはり寒いですね。函館本線では外で一日蒸気機関車をひたすら待ち続けられましたが宗谷本線はそんな事はできません。カメラを三脚にセツトしてSLが来る前にはシャツターを押間違えないため手袋を外します。
わずか二十分の間に小指が感覚がなくなったのに気づきすぐに腹に手を入れて暖めました、凍傷になりませんでしたが、手の皮が一週間後には全部剥けました。ホッカロンがあの当時はありませんでした。

(
北海道音威子府村)


岡山市撫川の下撫川の町並みです。昭和40年の初め頃までは地方都市の町並みにはひとつの法則性があったように思う。それが崩れたのはモータリゼーションの発達による道路の整備と郊外への住宅地の開発ではなかったでしょうか

(岡山市撫川)








鋳掛け屋(いかけや)すっかり死語になった言葉である。これを撮影したのは高度成長の真っ只中、もう消費の世時代であった。こんな時代に鋳掛け屋と言う商売が存在したのは驚きであった。
お爺さんが黙々と鍋の補修をしている。穴の開いた鍋を叩いて穴を塞ぎ錫やハンダを流し込み漏れないないようにする。
私は化学工場で働いているが配管の漏れは避けて通れない。小さなピンホールは配管を叩いて鉄を寄せてきて穴を塞ぐ、これをコーキングという。鋳掛け屋もコーキング技術である。





梅雨の蒸し暑い日であった。倉敷市下津井の伊勢大神楽の一行について撮影をした。古い町並みの玄関に藁で編んだ15センチ程の輪をどの家に掛けてあった。これは下津井だけではなく牛窓でも室津、鞆でも見掛けた。
伊勢大神楽の一行がお祓いをしたあとに家内安全等を祈り掛けていくのである。本四連絡橋で変貌する下津井を撮影するため頻繁に足を運んでいた。伊勢大神楽の一行に出会ったのもそんな一日であった。一日その行動を撮影させてもらった。

 (倉敷市下津井)
8年程前に兵庫県吉川町に茅葺き民家を撮影に行った。茅葺き民家の玄関に伊勢大神楽のお札が貼ってある。見たところ真新しい。「奥さんにまだ伊勢大神楽はきますのん」と聞いたら「毎年、きまんがな」と言うではないか、茅葺き民家と一緒に撮影できたらと思ったものだが相手の行動予定が全くつかめない。昨年、兵庫県に撮影に行くため国道二号線を走っていたら、備前市でこの一行に出会ったのである。三十年振りである。もちろん後を付いて撮影をした。しかし、残念であったのが茅葺き民家も古い町並みもない地域であった。

 (兵庫県吉川町)


井戸の上を野良犬が占拠していた。私がきたので何匹かは姿を消したが、二匹か監視していた。吠えられては撮影の邪魔になるのでてなづける事とした。

(倉敷市下津井)
今はこの港は埋め立てられ建物が建っています。東頭上には本四連絡橋が掛かっています。前に置かれているのは延縄漁の仕掛けです
。糸はナイロンではなく綿製だったと思う、片隅で柿の渋で煮て強度を強くしていた。 この糸の方が絡まなくてよかったのでしょうか
港内では雁木が見られます。雪国の雁木は雪除けの通路ですが瀬戸内は雁木と言えば港の石の階段をさします。
(倉敷市下津井)
下津井の酒屋の前の縁台が将棋の場所になっていました。
一眠りしてみんなで遊んで夜の漁に出て行くのでしょう。拡大してみるとみんな真剣な顔して将棋をやっています。クーラーもパソコンも無かった時代ですが人の絆は強かった。
(倉敷市下津井)
若いお母さんが赤ちゃんを乗せて歩いている。
折りたたみのベビーカーが生まれたのが1967年というから昔からあったものではないようだ。昔は乳母車を言っていたが乳母車は箱型で折りたたみの物をベビーカーと言って区別しているようだ。乳母車では団地暮らしの人では置き場がない。
(岡山市撫川)


倉敷市の由加山の参道です。
由加山は由加大権現として金毘羅大権現との両参りでかっては栄えてそうですが私が初めて行ったときは寂れていました。それゆえに古い町並みがのこったのでしょう。
倉敷市玉島長尾の小野家の茅葺き民家です。
敷地2000坪の庄屋だった大きな屋敷の長屋門はいつも閉まっていました。この日偶然開いていて住人の方がおられたので撮影させてもらいました。丁度お孫さんが帰省されていたのでしょうかアイスクリームを食べさせている光景が撮影できました。この子供さんも現在だと39歳くらかとおもいます。

矢掛の町を子供をおんぶして帰路につく親子
お母さんは仕事を終えて子供を迎えにいっていたのでしょうか
夕暮れの風景、写真を拡大すると子供は笑っています。
親子でどんな会話をしていたのでしょうか、なんともほほえましい光景です。
この親子、何十年か経過した今、どんな人生を送っているのか再び撮影したいものです。


※解説文は掲示板に投稿いただいたものを、一部割愛・編集して掲載しています。